遠方から受診 癌 [治療法]
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遠方に住んでいるが、なんとか受診したい患者さんは結構いらっしゃいます。
ご自身やご家族の助けを借りながら、綿花を利用したまだらめ式間接灸をお勧めします。
当地に数日間滞在して頂き、このお灸を覚えるのです。
自宅に戻って、お灸を頑張るのです。
一日に何度も繰り返していると、末期的状態の癌患者さんでも元気がでてきます。
これまでに出来なかったことでも、できるようになったりします。
手術後の再発転移の予防にもなります。
仕事のある週日には難しいかもしれませんが、土日の休日にはできるでしょう。
毎日が身体にとって良くない日から、毎日が身体にとって良い日に変えていくのです。
こうすれば体質改善ができるのです。
ある程度自宅でお灸を頑張ると、刺激するべき位置が変化してきます。
そのため、月に1回とか数ヶ月に1回という受診は必要になります。
癌に限った話ではなく、北海道の線維筋痛症と慢性疲労症候群を合併した患者さんが
1週間滞在して劇的に改善したことなどがあります。
青山・まだらめクリニック 自律神経免疫治療研究所 https://www.dr-madarame.com
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ご自身やご家族の助けを借りながら、綿花を利用したまだらめ式間接灸をお勧めします。
当地に数日間滞在して頂き、このお灸を覚えるのです。
自宅に戻って、お灸を頑張るのです。
一日に何度も繰り返していると、末期的状態の癌患者さんでも元気がでてきます。
これまでに出来なかったことでも、できるようになったりします。
手術後の再発転移の予防にもなります。
仕事のある週日には難しいかもしれませんが、土日の休日にはできるでしょう。
毎日が身体にとって良くない日から、毎日が身体にとって良い日に変えていくのです。
こうすれば体質改善ができるのです。
ある程度自宅でお灸を頑張ると、刺激するべき位置が変化してきます。
そのため、月に1回とか数ヶ月に1回という受診は必要になります。
癌に限った話ではなく、北海道の線維筋痛症と慢性疲労症候群を合併した患者さんが
1週間滞在して劇的に改善したことなどがあります。
青山・まだらめクリニック 自律神経免疫治療研究所 https://www.dr-madarame.com
統合医療とは? [病態・治療法]
江戸時代には日本の医療の中心は漢方医学でした。
吉宗将軍の時代に蘭学が入り、漢方とオランダ医学が折衷された医学が勃興してきました。
明治時代になり、ドイツ医学が戦争の役に立つことから主流になりました。
14歳でドイツに留学した森鴎外が陸軍軍医総監になるなど、日本の医学の主流はドイツ医学でした。
第二次世界大戦以降はアメリカ医学が中心となりました。
所長が学生時代はまだドイツ語の医学用語を使っておりましたが、医師となって数年経った頃から
カルテをチャートと呼ぶように、英語が中心になってきました。
こんなふうに書くと、所長は白髪のお爺さんのようにイメージする方が多いかもしれませんが、そうではありませんよ!
戦後の日本ではアメリカ医学が中心になったのですが、万能ではありませんでした。
アメリカ医学は感染症や外科的な処置が必要な病態には優秀な医学でした。
しかし、生活習慣病には弱かったのです。
そして生活習慣病が疾病の中心になる時代が来ると、伝統医学に注目する動きが出てきました。
それがアリゾナのアンドリュー・ワイル博士の提唱する統合医療だったのです。
これまでの医療を否定するのではなく、それに足りないものを補い、よりよい健康状態を目指すという医療を目指したのです。
その足がかりとしたのが、各国にある伝統医学でした。
アメリカではその動きに反応が早かったのです。
代替医療局という政府の組織ができ、その規模が拡大されてきました。
日本では国家としても取り組みは遅々としておりますが、東京大学名誉教授の渥美和彦先生がJACTという組織を作り、それが今の統合医療学会に発展してきました。
2003年に東京女子医科大学に青山自然医療研究所が出来たのが日本の医学部で、代替医療の臨床を専門に行なう施設としては初めてのことでした。
その部門に約10年間在籍し、東洋医学の運用を中心に臨床経験を積んできました。
莫大なお金をかけても改善しなかった症状・病気が湯たんぽを使って、身体を温めた上で刺絡や綿花を利用した、まだらめ式間接灸・気診治療の組合わせで改善することをたくさん経験してきました。
様々な問題があり(中身には言及しません)その職場を辞し、現在に至っております。
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吉宗将軍の時代に蘭学が入り、漢方とオランダ医学が折衷された医学が勃興してきました。
明治時代になり、ドイツ医学が戦争の役に立つことから主流になりました。
14歳でドイツに留学した森鴎外が陸軍軍医総監になるなど、日本の医学の主流はドイツ医学でした。
第二次世界大戦以降はアメリカ医学が中心となりました。
所長が学生時代はまだドイツ語の医学用語を使っておりましたが、医師となって数年経った頃から
カルテをチャートと呼ぶように、英語が中心になってきました。
こんなふうに書くと、所長は白髪のお爺さんのようにイメージする方が多いかもしれませんが、そうではありませんよ!
戦後の日本ではアメリカ医学が中心になったのですが、万能ではありませんでした。
アメリカ医学は感染症や外科的な処置が必要な病態には優秀な医学でした。
しかし、生活習慣病には弱かったのです。
そして生活習慣病が疾病の中心になる時代が来ると、伝統医学に注目する動きが出てきました。
それがアリゾナのアンドリュー・ワイル博士の提唱する統合医療だったのです。
これまでの医療を否定するのではなく、それに足りないものを補い、よりよい健康状態を目指すという医療を目指したのです。
その足がかりとしたのが、各国にある伝統医学でした。
アメリカではその動きに反応が早かったのです。
代替医療局という政府の組織ができ、その規模が拡大されてきました。
日本では国家としても取り組みは遅々としておりますが、東京大学名誉教授の渥美和彦先生がJACTという組織を作り、それが今の統合医療学会に発展してきました。
2003年に東京女子医科大学に青山自然医療研究所が出来たのが日本の医学部で、代替医療の臨床を専門に行なう施設としては初めてのことでした。
その部門に約10年間在籍し、東洋医学の運用を中心に臨床経験を積んできました。
莫大なお金をかけても改善しなかった症状・病気が湯たんぽを使って、身体を温めた上で刺絡や綿花を利用した、まだらめ式間接灸・気診治療の組合わせで改善することをたくさん経験してきました。
様々な問題があり(中身には言及しません)その職場を辞し、現在に至っております。
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